他方、ダンスホールが悪の温床だと槍玉にあげられてしまったことに対するアーティストの反応はいかなるものか。
「ER(テレビ番組)」に登場したBounty Killerは述べた。
「犯罪はコミュニティーと親に監督責任があるのであって、犯罪と音楽を結びつけることは道理にかなわない。ダンスホールはゲットー住民の魂の叫びであり、これが実際に起こっている現実だ」。
討論番組にIan Boyne、レゲエ研究者のDr. Donna Hopeと共に出演したVybz Kartelは述べた。
「音楽は音楽、娯楽、そして芸術である。社会での出来事を反映してダンスホールの歌詞がうまれる。政治は音楽にプレッシャーをかけすぎている」。
紙面でAssassinは述べた。
「何を聴くか、それをどう捉えるかについて、アーティストに監督責任はない。その責任は親にある。だから、自分にも娘を監督する義務がある」。
アーティストは一様に保護者・監督者の責任を追及しているようだ。
もちろん、ラジオ等公共放送での放送禁止用語は存在する。放送禁止用語を連発しているMavadoの曲などは、もはや歌詞が聴こえてこない。他方、子供たちが通学に利用するバスの中でこれらの原曲がCDでかけられている。昨今の情報社会においてどこまで親の監督義務を問うことができるのか、疑問と課題は残る。
また、同論争は思わぬ展開をもみせている。
今年4月、過去7年間「Reggae Sumfest」の筆頭スポンサーを務めてきたRed Stripeが、ダンスホールが社会に与えている悪影響を考慮し、今年のスポンサーを辞退すると発表した。ダンスホールがまた一歩窮地に追いやられてしまったことは否めない。
論争は主にメディアを媒体にして白熱しているが、どんなに非難されようとも、ジャマイカ文化として根付いているダンスホールを社会から排除することは不可能であるし、誰しもがそう願っているわけでもない。実際、社会的地位に関係なく、問題点を見据えながらもダンスホールを自国文化として誇り、愛してやまないジャマイカ人も多い。ビジネスの市場だって大きい。このことは、権力者(政治家や大企業経営者等)の思わくだけではダンスホールを動かすことはできないことを意味する。
また、悪化の一途を辿る治安に対し、過激なダンスホールの歌詞が犯罪を助長しているというIan Boyneの指摘を裏付ける資料こそないものの、決して無視できるものでもなさそうだ。暴力・犯罪のほか、わいせつ・女性差別・ゲイ差別・物質主義的なダンスホールの歌詞が抱える問題も大きい。しかし、Bounty Killerの発言どおり、ダンスホールがゲットー住民の魂の叫びであり文化であるならば、ダンスホールと社会情勢とを切り離すことはできない。となると、ダンスホールの運命はジャマイカ社会そのものの動向の手中にあると言えるのだろうか。
Photo: Passa Passa