
通称:King Jammy(キング・ジャミー)
本名:Lloyde James(ロイド・ジェームス)によって設立。
彼は、80年代、最も影響力のあるダンスホール・プロデューサーとして活躍した一人で、現在のダンスホールシーンでも主流であるコンピュータライズド・デジタルレゲエの創始者。
1985年、Jammy'sレーベル最大のヒット曲、Wayne Smithの [Under Mi Sleng Teng] で使われた "Sleng Teng" リディムは、レゲエミュージックにおいて初のデジタルリディムとなった。
以降、"Punnany"、"Duck" リディム等、打ち込みによるビッグリディム、ビッグヒットを連発し、80年代後半よりレゲエシーンを席巻した。
現在もダンスホールシーンにおいて、揺ぎ無い支持を得る老舗レーベルとして君臨するBigレーベルである。
ウォーターハウス地区で育った彼は、幼いころからサウンドシステムに興味を持ち、アンプの作成や、電子機器の修理等で得た収入によって、1967年、若くして自分のサウンドシステム「King Jammy's Super Power」を持つ事となった。
彼の持つサウンドシステムに関する技術は非常に高く、地元ウォーターハウス地区において、他の多くサウンドのシステム製作を手掛けた。その才能により、Prince Jammy(プリンス・ジャミー)とも呼ばれるようになった。
その後、数年間カナダで働くため、1970年代前半に一旦ジャマイカを去った。カナダでも音楽活動を続け、1976年、ジャマイカに帰国。自宅にスタジオを作る事となった。
その頃、King Tubbyに所属していたトップ・プロデューサーPhillip Smartが、King Tubbyの元を離れる事となり、JammyはTubbyのチームで働くこととなる。そこでJammyは、King Tubby、Bunny Lee、Yabby Uから多大な音楽影響を受けることとなった。
最初の数年は、もっぱらダブの制作を行っていたが、70年代後期、Jammyは自分のスタジオとサウンドシステムを設立し、Jammysプロダクションとしてリリースを始める。
このプロダクションから、Black Uhuruのデビューアルバムをリリース。その他、Half Pint、Junior Reid、Echo Minottといったアーティストをプロデュースした。
1980年代には、King Jammyはダンスホール・ミュージックに最も大きな影響を与えるプロデューサーの一人となってゆく。
1985年の2月、ウォーターハウス地区で、King JammyのSuper Powerと、Black scorpioが、地元のトップを決める一大クラッシュが開催された。多くのアーティストも、両陣営に分かれてこれに参加。序盤をリードしたのはBlack Scorpio。だが、King Jammyが用意した最新リディム、"Sleng teng" で会場は大マッシュ・アップ。形勢が逆転し、King Jammyが勝利した。
このクラッシュで "Sleng Teng" リディムが初めてプレイされ、その後一気にジャマイカ中で爆発的ヒットとなる。
King Jammyが、デジタルで制作した革命的リディムを使用した、Wayne Smithの [Under Mi Sleng Teng]。この "Sleng Teng" リディムが、ダンスホールを現在の形へと導いたレゲエ初のデジタルリズムとなった。200を超えるアーティストが、この"Sleng Teng" リディムに乗せて歌った。
そんな80年代中期から90年代前期まで、Jammysはこの頃のダンスホールシーンを席巻した。
後に敏腕プロデューサー、Bobby Digitalがプロダクションに加わり、Steely & Clevieがリズムを提供するようになる。数々の新人を輩出すると共に、新しいスタイルの楽曲を生み出し続け、そのリリースはニューヨーク、ロンドンでも同時発売し、Jammysは拡大しつづけた。
90年代に入り、その勢いは80年代に比べ衰えたものの、Jammysはダンスホール・シーンにおいて、揺ぎ無い支持を得る老舗レーベルとして、今なお君臨し続けている。
また、彼の息子、John John、Baby G、Jam 2、Christopher 'CJ' Jamesの4人。さらに、実弟Uncle Tも、それぞれエンジニア、プロデューサーとして活動している。