ROCKERS channel

ROCKERS ISLANDがプロデュースする、ダンスホール・レゲエ専門のウェブ・マガジン。ジャマイカ人アーティスト、日本人アーティストのインタビュー、PV、 LIVE等の映像や、ヒット曲のリリック、最新チャート、ジャマイカ情報、イベントスケジュール等、レゲエなコンテンツが満載!全情報無料!!

DANCEHALL DICTIONARY

<アーティスト>
  • AIDONIA
    text:Shintaro(Rockers Island)

    aidonia.jpg 本名:Sheldon 'Aitana' Lawrence
    生年月日:1981年4月6日
    出身:Red Hills Road Areaで育つ

    教師をしている母親と元軍人である父親の子として、4人兄弟の、2番目として生まれる。

    アーティスト名であるAidoniaは、昔サッカーをしていた時に付けられた "Dona" というアダ名と、ミドルネームである "Aitana" をくっつけて、名づけたそう。

    高校時代、Aidoniaは「Sting '93」のビデオで、Beenie Man vs Bounty Killerの有名なクラッシュを見て以来、DJになる事を決心。

    その後、すぐに自身のリリックを書き始め、友人らとJag One(Jah A Guide One)Crewを結成し、学校のコンサートなどで、しばしばパフォーマンスをするようになる。

    一時期、父と共にアメリカへ渡り3年間、運送会社で働きながら、小さなショーへ出演したりしていたが、本格的にDJ活動をスタートさせるためジャマイカへ戻った。

    そうして2003年に、自身もDJであり、Young Bloodレーベルを主宰するMr.G(Goofy)と出会い、初めてのレコーディングを経験。アーティストとして、本格的なスタートを踏み出す。この頃、AidoniaのDJとしての親父的存在である、Vybz KartelをMe.Gに紹介される。

    その後、平日のレギュラーダンスである「Battle Thursday」で、パフォーマンスのスキルなどを磨いていく。

    その結果、2004年に有名プロデューサーであるSkatta(※注1)に誘われ、EinsteinやHollow Point、Platinum Kidら、次世代のDJ達と "Gangbang Entertainment Family" を結成。(その後、あまり上手くまとまらず、いつの間にか解散。)

    AidoniaはSkattaや、他のプロデューサー達と仕事を重ねていく。そうして、05年にSkatta制作 "Irish Dance" リディムでの [Lolly] がファーストヒットを記録。

    その後、[Chicken Head]、[Inna Di Ghetto] などのヒットの後、Vybz KartelがAidoniaの憧れである、Bounty Killerに彼を紹介する。気に入ったKillerは、AllianceにAidoniaを向かえ、コンビ曲 [From Them Dis] を制作。

    その後、Allianceのごたごたお家騒動などがあり、KartelとAidoniaはAllianceを脱退。KartelはPortmore Empire、AidoniaはJ.O.Pとして活動をしている。

    しかし、Aidonia曰く「Killerは俺のおじいちゃんで、Kartelは親父だ」と共に、リスペクトしているよう。

    2008年3月5日には、日本のビクターからファーストアルバム「Them And Now」をリリース。

    ※注1:本名:Cordel "Skatta" Burrel
    "Coolie Dance" リディムや、"Dancehall Rock" リディム、"Bad Company" リディムなどを生んだ、お馴染みの人気トラックメーカー。

    ▼AIDONIAの特徴▼
    端正な顔立ちで、スタイルもよく、シュッとした感じ。Kartelと同じく、リリック重視のDJスタイルで、最近では強力なBAD MANリリックを武器に活躍中。

    ▼AIDONIAの最近の動向▼
    最近では注目プロデューサーのStephen McGregorが生み出す、ダークでハードコアな攻撃的リディムで、好曲をリリース中。今後も期待度◎なDJ。
    関連リンク
    ■Skatta制作の "Irish Dance" トラでのファーストヒット曲 [Lolly]
    ■メントとSkaが混ざったような軽快、楽しげトラでの1曲 [Inna Di Ghetto]
    ■現場でよく耳にした初期の作品 [Chicken Head]
    ■アリフ・クーパー制作のジョグリンリディム "Raw" トラでの [Different Gal]
    ■Stephen制作の攻撃的イケイケ "Red Bull & Guiness" での [Re-Load]
    ■リリカルなスタイルを満喫できるBad Man曲 [King Fish A Come]
    ■Aidonia、1番のヒット曲 [Ukku]
    ■最近人気のエロネタ [Ah You]
    ■stephen制作のリディム "Dark Again" での注目Bad Man曲 [Empty]
    ■その他のAIDONIAのリリース作品
  • ALAINE
    text:Kyoju & Azeco(Rockers Island)

    alaine.jpg 本名:Alaine Laughton (アレイン・ロートン)
    アメリカ・ニュージャージー生まれジャマイカ育ち

    女性の活躍が少ないレゲエ業界で、今のレゲエシーンには欠かせない存在である女性シンガーAlaine。素晴らしい歌声を持ちながら、ソングライターとしても活躍し多才な才能を発揮。その深みのある表現力や常に絶やさない笑顔は歌やステージを通して聴くものの気持ちを明るく掻き立てる。

    そのエンターテイナーとしての才能は幼い頃から既に開花していた。女優としてジャマイカのテレビやCM、ラジオのジングル、舞台などで活躍(ウーピー・ゴールドバーグ主演の映画にも少女役として出演)。

    その後、ジャマイカの大学でマネージメントと心理学の学位を修めた後、ニューヨークへと移り投資銀行(JP Morgan Chase & Co.)に就職。しかし音楽の道は諦めずにCam'Ronの曲でシンギング・パートを担当する等、地道に活動を続けていた。本業の投資銀行で着々とキャリアを積み安定した生活を手に入れていた彼女だが、その反面、音楽に専念する時間が無くなってしまい、今の仕事を続けるか、音楽への道を選ぶか大きな人生の決断を迫られる事となった。そこで選んだ彼女の選択肢は、安定した生活を捨て、ジャマイカに戻りシンガーの道へ進む決心だった。

    2004年にジャマイカに戻り、Sly & Robbie、Don Corleonなど、ジャマイカのトッププロデューサー達とのスタジオワークを行った。

    2005年にリリースされたDon CorleonプロデュースのSEASONリディム [No Ordinary Love] がニューヨーク、フロリダ、日本、ヨーロッパ、カリブ諸国でチャート入りし、その後Don Corleoneプロデュースの [Heavenly]、[Sacrifice]、[Sincerely]、[Speak Love] などがヒットし、Don Corleon Recordsの看板シンガーとなった。

    以降、『ダンスホール・リディムに乗せながらも、R&B / HIP HOPからの影響も上手く取り入れたリリック&ヴォーカルスタイル』によって、レゲエファンのみならず、世界中の多くの音楽ファンを魅了している。今夏には、ROCKERS ISLANDによるレーベルKOYASHI HAIKYU(コヤシ配給)よりニューアルバムがリリース予定。こちらも今から楽しみである。
    関連リンク
    ■04年大ヒット "CHAKA CHAKA"リディムに乗せ楽しげフロー!
    ■DONとのタッグから生まれたこの曲で一躍トップシンガーへ!
    ■ダンスホールトラも叙情的に乗りこなす!
    ■DONとの相性の良さが更に確立された06年ヒット曲
    ■問答無用の07年大大大ヒット曲!
    ■07年はヒット曲の連続!人気トラ"GUARDIAN ANGEL"に乗せたこちらもナイス!
    ■King of Dancehallとも組んでもなんら見劣りしないプリンセスぶりは圧巻!
    ■ここ最近のDON とのタッグで放つヒット曲は多数
    ■最新注目曲!あのTarrus Rileyとのデュエット!マストチェック!
    ■その他のAlaine作品
    ■ROCKERS channel
  • ANTHONY B
    text:Takahashi Man (Rockers Island)

    anthony-b.jpg 本名:Keith Blair(ケイス・ブレアー)
    生年月日:1976年3月31日

    90年代半ばより頭角を現しCapleton(ケープルトン)やSizzla(シズラ)等と並び活躍する、ラスタファリアンDJの代表格。一貫したコンシャスなスタイルで、Peter Tosh(ピーター・トッシュ)の影響を強く受けた、過激でストレートなメッセージでも知られる人気アーティスト。

    1976年3月、ジャマイカはトレローニーの北西部に生まれる。幼少期は、キリスト教徒であった母と祖母の元で育つ。青年期よりBob Marley(ボブ・マーレー)やPeter Toshを好み、強い影響を受ける。

    十代の頃にラスタファリアンとしての信念を貫く為、反対する家族の元を離れキングストン郊外の親族の元へと移り、"Bobo Ashanti"(ターバン、ローブを身に着けるのが特徴でもあるラスタファリアンの組織のひとつ)のメンバーとなる。その後、高校に通いながら地元のサウンド・システムShaggy Hi-FiのDJとして、キャリアをスタートさせる。

    80年代後期にはDetermine(デターミン)、Mega Banton(メガ・バントン)、Ricky General(リッキー・ジェネラル)やTerror Fabulous(テラー・ファビュラス)といったアーティストと共に活動する。当時、ダンスホール・シーンではスラックネス(=下ネタ)が人気であったが、アフリカ回帰やラスタファリアンとしての文化的、貧困などの問題についての政治的、賢明で道徳的なスタイルを貫く。

    93年、<Wizard>レーベルよりデビュー・シングル [The Living Is Hard] を発表する。その後も様々なプロデューサーの下で活動するが、望む様な成果は得られず、最終的にRichard "Bello" Bell(リチャード・ベロ・ベル)の<Star Trail>レーベルの下へと移る。

    95年、<Star Trail>レーベルからのシングル [Raid The Barn] のヒットを皮切りに [Rumor]、[Low Di Herb]、[Hurt Mi Heart]、[One Thing]。ローマ法王を痛烈に批判し、あまりに過激な内容でジャマイカでは放送禁止にもなった事でも話題となった [Fire Pon Rome] 他、ヒット曲を量産する。90年代後期には同じ"Bobo Ashanti"のアーティストであるCapletonやSizzla等と、ダンスホール・シーンにカルチャラル・ブームを起こすと共に、人気アーティストの仲間入りを果たす。

    00年以降も<Harmony House>レーベルからの [Good Life] や、<Fire Ball>レーベルからの [Good Cop] といった大ヒット曲はじめ、プロデューサーSteely & Clevie(スティーリー・アンド・クリーヴィー)の下で、ルーツ・レゲエの大御所Culture(カルチャー)と名曲 [Two Sevens Clash] を共演。

    <Togetherness>レーベルからは、[Some One Loves You] やVybz Kartel(ヴァイブス・カーテル)、Ninja Man(ニンジャ・マン)との [Where Is The Love]、Wyclef Jean(ワイクリフ・ジーン)、Bone Crusher(ボーン・クラッシャー)との [Lighter] がヒット。04年にはPeter Toshの名曲 [Equal Rights] をカヴァー。07年には<Trinity Records>レーベルからの [Tease Her] がヒット曲となるなど、常にシーンのトップ・クラスで活躍する。

    アルバム作品においても、<Star Trail>で制作された初期の代表曲が揃った95年発表のデビュー作「Real Revolution」(UK)/「So Many Things」(US)はじめ、アメリカ、ヨーロッパの様々なレーベルより30作以上の作品がリリースされている。

    関連リンク
    ■Anthony Bのリリース作品
    ■95年<Star Trail>レーベルからリリースのヒット曲 [Raid The Barn]
    ■95年<Star Trail>レーベルからリリースのヒット曲 [Rumor]
    ■95年<Star Trail>レーベルからリリースのヒット曲 [Hurt Mi Heart]
    ■96年リリースの放送禁止にもなった話題曲 [Fire Pon Rome]
    ■00年<Harmony House>レーベルからリリースのヒット曲 [Good Life]
    ■02年リリースのCultureと共演の名曲の再演 [Two Sevens Clash]
    ■04年リリースのPeter Toshの名曲カヴァー [Equal Rights]
    ■95年リリースの代表曲揃いのデビュー・アルバム「So Many Things」
  • ASSASSIN
    text:Shintaro(Rockers Island)

    assassin.jpg 本名:Jeffery Campbell
    出身:キングストン
    生年月日:1982年12月22日

    アーティスト名の「Assassin=暗殺者」は高校時代からのアダ名で、高校の学食でフリースタイルのDJ合戦をしていた時に、毎回相手を倒していたことから付けられたそう。

    しかし、その頃のAssassin自身は、高校卒業後ジャーナリストを目指して大学へ進学するつもりだった。

    99年、Assassinが17歳の時に、DJを目指していた友人のために書いたリリック(歌詞)を、友人が自分の親戚であるレゲエDJSpragga Benzに渡す。

    それを気に入ったSpragga Benzが、当時大ヒットしていた "Street Sweeper" トラに乗せ [Shotter] というタイトルでリリースしたところ、周りの評判良かったことやSpraggaの奨めもあって、AssassinはDJになる事を決意した。

    その後は、Spragga Benz率いるRed Square(※注1)と共に活動を開始し、色々なレーベルやプロデューサーともリンクしていき、沢山のレーベルから作品をリリースするようになる。

    99年後半ぐらいから曲をリリースしだし、01年には大ヒットトラ "Rice & Peas" でRed SquareのシンガーSugar Slickとのコンビ曲 [Dedicated To The World] や、First Nameレーベルからの [Wah Gwaan] で注目を集めだす。

    02年にリリースの世界的ヒットトラ "Diwali" での [Ruffest & Tuffest] やハードコアトラ "Engine" での [If A War] のヒットで世間的にも認知されるほどになる。

    その人気を決定的なものにしたのは、やはりRenaissanceレーベルから04年リリースで "Stepz" トラでの [Idiot Thing] だろう。この曲は、Sean Paulの [Legarize It(We Be Burnin')」と同トラで当時ダンスでは超へヴィープレイのBig Tuneであった。

    以降、現在に至るまで、[As A Man」や、[Step Pon Dem」など多数のヒットを放ち、Hitリディムでは絶対っと言って良いほど作品をリリースしている。

    スタイル的にはデビュー当時は、Spragga BenzやBaby Chamに似ていたが、ここ最近はその持ち味の力強い野太い歌声を武器に、正統派ストロングタイプのDJとして活躍中。

    男臭いハードコアなBad Man TuneからGal Tune、またはシリアスなメッセージ曲まで幅広いスタイルの持ち主。

    ※注1:Red Square(レッド・スクウェア)とはSpraggaが住んでいる地区の名前であり、スプラガファミリーのクルー名。

    ▼Assassinが良く使う主なキャッチフレーズ▼
    ●YAH-MAN !!!(ヤーマン!!!)
    ●CHECK! CHECK! CHECK!(ちぇっ!ちぇっ!ちぇっく!)
    ●A MURDER!!(ア!ムーダ!)
    関連リンク
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  • BARRINGTON LEVY
    text:Takahashi Man(Rockers Island)

    barrington_levy.jpg 生年月日:1964年4月30日
    出身:ジャマイカ、クラレンドン

    突き抜ける様なハイトーンの"カナリア・ヴォイス"と呼ばれる独特の歌声で知られる、ジャマイカの国民的スーパースター。70年代に、若干14歳でデビューして以降、70年代のルーツから80〜90年代のダンスホールへと変化するシーンの中でも、トップに君臨し続けたヴェテラン・シンガー。レゲエ、ダンスホールだけでなく、HIP HOPアーティストとの共演など、多方面でも人気、活躍する。

    1964年、ジャマイカは西キングストンのクラレンドンに生まれる。

    1976年、従兄弟と共に"Mighty Multitude"という名のバンドを結成し、音楽活動を開始。

    1978年、バンド活動を経て、若干14歳でローカルのサウンド・システムなどでもパフォーマンスが好評であった彼は、Channel Oneの専属バンドとしても有名な、Roots Radicsのメンバーである、Volcanoレーベルの主宰兼プロデューサー、Henry 'Junjo' Lawesと出会い、ソロでの本格的なキャリアをスタートする。

    1979年、Henry 'Junjo' Lawesの下、Channel Oneスタジオでレコーディングを重ね、ファースト・アルバム「Shaolin Temple」はじめ、「Shine Eye Gal」、「Bounty Hunter」、「Englishman」の4枚のアルバムを発表。
    (この頃 [Collie Weed](Jah Guidanceレーベル)をはじめ、[21 Girls Salute]、[Moonlight Lover]、[Shine Eye Girl](Volcanoレーベル)等の初期の名曲が誕生)

    80年代に入ってもHenry 'Junjo' Lawesの下で「Robin Hood」はじめ数枚のアルバムを、さらに自身のプロデュースによる作品も意欲的に発表する。

    1983年、当時イギリスで活動していたプロデューサーJah ScrewのTime Oneレーベルより発表した [Under Mi Sensi] が大ヒットとなりジャマイカは勿論、イギリス、アメリカにおいても高い評価を得る。([Under Mi Sensi] は、後に大ヒットとなったWayne Smithの [Under Mi Sleng Teng] のメロディーのオリジナルとも言われている。)同年に発表された当時のジャマイカのシリアスなリアリティーを歌った、[Murderer](Grade Oneレーベル)も大ヒットとなる。

    1984年、Power Houseレーベル主宰、George Phangの下で [Money Move] を発表。同年、Volcanoレーベルからも [Prison Oval Rock] も発表。

    1985年、Time Oneレーベルよりアルバム「Here I Come」(タイトル曲は現在でも人気の高い、クラシックスの名曲中の名曲)を発表。《British Reggae Awards》のベスト・ヴォーカリスト賞を受賞する。

    イギリスでの活躍の後、ジャマイカに拠点を戻した彼は [Under Mi Sensi]、[Here I Come] といったビック・チューンを生んだ、Time OneレーベルのJah Screwの下、1987年にはBob AndyのStudio Oneの名曲のカヴァー [Too Experience] と [My Time] を大ヒットさせ、カヴァー曲でも人気を獲得すると、翌年には [Don't Throw It All Away] がヒット。

    1990年にはCutty Ranksとの [Dancehall Rock]、92年にはReggie Stepperとの [Something In My Heart」、97年にはBeenie Manとの [Two Sounds]、98年にはBounty Killerとの [Living Dangerously] と、コンビネーションでのヒット曲でも成功を収め、広く人気も獲得する等、快進撃を見せる。

    2000年にはHIP HOPのラッパーShyneのデビュー・シングル [Bad Boyz] に参加、大ヒットとなり話題に。

    現在もジャマイカをはじめ、世界で活躍するアーティストである。

    関連リンク
    ■Barrington Levyのリリース作品
    ■初期の代表作 [21 Girls Salute]
    ■初期の代表作 [Moon Light Lover]
    ■初期の代表作 [Shine Eye Girl]
    ■ダンスホール・クラシックスの名曲 [Under Mi Sensi]
    ■ダンスホール・クラシックスの名曲 [Here I Come]
    ■ダンスホール・クラシックスの名曲 [Murderer]
    ■Time Oneからの代表作 [Too Experience]
    ■Time Oneからの代表作 [Don't Throw It All Away]
    ■Time Oneからの代表作。Cutty Ranksとの [Dancehall Rock]
    ■Time Oneからの代表作。Bounty Killerとの [Living Dangerously]
    ■ビルボード・レゲエ・チャートで、6週間も1位を記録したベスト・アルバム
  • BOUNTY KILLER
    text:Daisuke Onoda(Rockers Island)

    bounty_killer.jpg 本名:Rodney Pryce(ロドニー・プライス)
    生年月日:1972年6月12日
    出身地:ジャマイカ、キングストン、トレンチ・タウン

    ジャマイカでも有数のゲットー地区、トレンチ・タウンからマイクで勝ち上がったレゲエ・シーンきってのスーパースター、Bounty Killer。本名Rodney Pryce。

    9人兄弟の末っ子として生まれたBounty Killerは、1990年代以降のダンスホール・シーンに君臨し、ゲットーに住む人々の声をリアルに代弁して来た「Poor People's Governor」として、多くの尊敬を集めている。

    幼少時代から、厳しいゲットーでサヴァイブする。ゲットー地区を渡り歩き、14歳の時、抗争に巻き込まれ銃弾を受け、生死の淵を彷徨った。この頃の体験が、今の彼の音楽スピリットの土台となっていることは言うまでもない。

    キャリアの始まりは、父親が運営していたサウンド・システムがきっかけ。若い頃からそのサウンド・システムでマイクを握るようにになり、スキルを磨いた。

    18歳の時、[Gun Must Done] でレコード・デビューを果たす。このデビューは、彼の従兄弟、John Wayneの計らいによるもので、プロデューサーはあのKing Jammyの従兄弟である、Uncle TレーベルのTrevor 'Uncle T' James。このときのアーティスト名はBountuy Hunterであった。

    このリリースに続いて、同じくUncle Tから [Dub Fi Dub] をリリース。この曲からアーティスト名を、現在のBounty Killerとする。

    Jammysファミリーと繋がりを強くした彼は、1993年Jammysの息子、John Johnのプロデュースにより、そのJohn Johnレーベルから "Answer" リディムを使用した [Spy Fi Die] をリリースし、これが初めての大ヒットとなる。

    その後1995年頃まで、Jammysファミリーの看板アーティストとして活動することとなり 、同レーベルからの [New Gun]、[Copper Shot]、[More Gal]、[Book Book Book] 等をはじめ、John Johnからの [Lodge] に [Long Donkey Cod]。Kingstone11からの [Dead This Time] 、[Down In The Ghetto] 等、次々にヒットを飛ばした。

    また、この頃からBeenie Manとの確執が生まれ、ライバルとして現在でもその関係は続いている。

    1995年Jammysを離れ、自身のレーベル「Priceless」を設立。同レーベルから発表したアルバム「My Xperience」は世界中で大ヒットを記録し、レゲエ・ビルボード・チャートでは6ヶ月に渡って一位をキープ。ヒップ・ホップ・ファンにも好評を得て、ジャンルを超えたクロスオーバーなヒットとなり、ジャマイカのトップ・ディージェイとして君臨することになった。

    その後は様々なレーベルで活動を行い、随所で重要な大ヒットを生み出していく。Mad Houseから、"Bug" リディムでの [Look] や、Xtra Largeから "Bluck Out" リディムの [Can't Believe My Eye]。"Show Time" リディム [Eagle And The Hawk]、40/40レーベルから "Diwalli" リディム [Sufferer]、Rattlerレーベルから "x5" リディム [Just Dead]。最近ではBig Shipレーベルから [Bullet Thing] などなど、多くの重要なヒットを生み続けながら、現在もAlliance Crewのヘッドとして、すさまじいカリスマ性を放ちながら活躍中である。

    ▼Bounty Killerの特徴▼
    彼のスタイルの特徴は、独特の男気溢れるイカツイ声で、緩急つけて使い分けた歌声から発せられる、スキルフルなフロー&リアルなリリック。

    Badなキャラクターが定着しているが、[Poor People's Governor] を自称するようにゲットーの人々を大切にし、彼らに報酬を還元することを忘れていない。貧しい人々の代弁者として、シリアスかつ、ポリティカルなりリックの名曲も数多く残している。

    また、若手のアーティストを世に送り出すのも巧く、MovadoやBusy Signal、今では彼の元(Alliance Crew)を離れたVybz KartelとIdoniaも、彼が抜擢したアーティストである。

    関連リンク
    ■90年代中頃大ヒット、John Johnから "Sleng Teng" リディム使用の、超バッドマン・チューン [Lodge]
    ■90年代中頃大ヒット。クラッシュでもおなじみ、これぞKillerの真骨頂!軽快 "Duck" リディムに乗せたキルチューン [Dead This Time]
    ■93年大ヒット、Kingstone 11からの "Answer" リディム。密告者を撃ち殺す、Killerの初期代表曲 [Spy Fi Die]
    ■92年大ヒット。Jammysからベースのうねりが印象的な "General" リディム。Gunで血の川が流れると歌う、バッドチューン [Copper Shot]
    ■93年ヒット。これもGun(銃)が題材。Jammys "Punnany" リディムでのKilller初期代表曲 [New Gun]
    ■95年大ヒット。軽快なイケイケトラの中にも、若者に向けてのメッセージが詰まった1曲 [Book Book Book]
    ■90年代中頃ヒット。John Johnリメイク版の "Love Punnany Bad" リディムでのスラックネス・チューン [Long Donkey Cod]
    ■99年大ヒット。Mad Houseから低音を強調した迫力あるイケイケリディム "Bug"。ゲットー・ピープルの声をストレートに代弁した、超Big Tune [Look]
    ■98年、うねりの効いた不気味さで大ヒットしたMad Houseからの "Bluck Out" リディムで、世の中の矛盾を嘆くBigチューン [Can't Believe My Eye]
    ■Xtra Largeからシンプルながら低音とうねりがある "Show Time" リディム [Eagle And The Hawk]
    ■02年、世界的なクロスオーバーヒットとなった、40/40レーベルからの "Diwalli" リディムでジャマイカの現実を歌った1曲 [Sufferer]
    ■01年大ヒット、Rattlerレーベルからの "x5" リディムで、Baby Chamへ向けて歌った殺しの1曲 [Just Dead]
    ■08年ヒット。天才Stephen McGregor作のトラックに乗せた、イカツくキレのあるGunチューン [Bullet Him]
    ■08年大ヒット!自身が率いる、ALLIANCE CREWメンバー5人で歌う超人気曲 [Alliance Giants]
    ■その他、Bounty Killerの作品
  • BUSY SIGNAL
    text:Shintaro(Rockers Island)

    busy_signal.jpg 本名:Reanno Gordon(リーノ・ゴードン)
    出身:Kingston Tivoli Gardens(パサパサ・ウェンズデイが行われている超有名なゲットー)
    生年月日:1982年

    子供の頃、母親に連れられて教会へ行き、そこで初めて音楽に触れる。学生時代、人気DJであるNinja ManやSuper Cat、それにShabba RanksなどのDJに憧れ、モノマネをする中、友人のアドヴァイスを受け、本格的にDJを目指すようになる。

    それからチャンスを掴みとるべく、スタジオやダンスに顔を出しながDJスキルを磨き修行する。

    そして、03年に初めてレコーディングを経験する。その曲は、Renaissanceレーベルからリリースの "Tunda Clap"(Kartelの [Tek] が大ヒット)リディムでのB面で、若手のシンガーKennyとのコンビ曲 [Shake It Fast]をリリース。この1曲目から、今のような活躍を予想させる上手さであった。

    その後も、B面ではあるが好曲を順調にリリースし続け、05年中頃にリリースした [Step Out] と、[Born & Grow] が立て続けにヒットし、その数ヶ月後にリリースした "Ice Breaker" リディムでの [Not Going Down] がヒットする頃には、シーンの中核を彩るアーティストとして定着していく。

    その年の、暮れには自身のレーベルNetwork Recordsを立ち上げ、作品をリリースするなど精力的に活動していく。

    その後も、今に至るまでリリースされるヒットリディムでは絶対にリリースされるほどの人気DJへと成長。

    現在、Bounty Killer率いる、Alliance軍団の特攻隊長的存在としてMavadoなどと共に人気を博している。

    ▼BUSY SIGNALの特徴▼
    多種多様に変幻するフローと、印象的なメロディーラインを多く持つ。早口のスキルもなかなかのもの。(Busyは歌を作る時、まずメロディーとフローを考えてからリリックを載せていくそう。)

    ▼最近の動向▼
    DasecaからリリースのHip Hopトラでの [The Days] やJamからリリースで、こちらも同じくHip Hopオケでの [Jail] が大ヒットを飛ばしている。
    関連リンク
    ■初リリース曲 [Shake It Fast]
    ■大人気だった "Chaka Chaka" リディムでのBusy [Mi Nuh Know](同トラでのElephant Manの曲なども手がけているそう。)
    ■同曲でのダンスも流行したファーストヒット曲 [Step Out]
    ■上記曲とセットプレイされていた人気曲 [Born & Grow]
    ■Ghettoの人々の心を掴んだアツ〜イ1曲 [Not Going Down]
    ■自身のNetworkレーベルからのリリース曲 [Where I'm From]
    ■DJスキルが冴える1曲 [Too Much Gun]
    ■Busy Signal & Mavadoのヒット曲 [Full Clip]
    ■珍しいOne DropトラでのBusy [Right Place Wrong Time]
    ■07年の超大ヒットしたMavadoとのコンビ曲 [Bad Man Place]
    ■プロデューサーでありDJのDemarcoがプロデュースした1曲 [Pon Di Edge]
    ■その他のBusy Signal作品
    ■ROCKERS channel
  • CAPLETON
    text:Takahashi Man(Rockers Island)

    capleton.jpg 本名:Clifton George Bailey Ⅲ
    生年月日:1967年4月13日
    出身地:セント・メアリー

    《King Shango》、《King David》、《Fire Man》、《Prophet》といった愛称でも広く親しまれる現代のダンスホール・シーンを代表するラスタDJの代表格。2000年前後では「More Fire」のフレーズで、まさに"Fire Man"旋風を巻き起こしダンスホール・シーン全体を牽引したベテラン。自身のレーベル(プロダクション)【David House】を持つ。

    04年、【South Rakkas Crew】レーベルより発表の [Real Hot] がヒット曲となったほか、【Kings Of Kings】レーベルからはGenie Slickとのコンビ曲 [Baby I Love You]、【Roaring Lion】レーベルからは [Joy For All]、【Black Chiney】レーベルからは [Who You Calling Nigger]、【Renaissance】レーベルからは [Or Wah] など多数のヒット曲を発表する。さらに、自身が名付け親でもあるサウンドFire Linksが運営する【Fire Links】レーベルより発表の "Mad Instrument" リディムでのダンス曲 [Turn It Up] も大ヒットとなったほか、【VP Records】よりアルバム「Reign Of Fire」も発表した。

    05年には、【Don Corleon】レーベルより発表のヒット・リディム "Sweat" での [Toppa Tings] が大ヒット曲となったほか、【In Time Music】レーベルからは [Jump Off]、【Jah Snowcone】レーベルからはヒット・リディム "Applause" での [Stray Bullet] 等をリリース。

    06年、07年は、【Don Corleon】レーベルより積極的にリリース。"Foundation" での [Wha-Dis Wha-Dis] と [Hits Pon Top A Hits] がヒット曲となったほか、ヒット・ミディアム・リディム "Heavenly" での [Jah Protect Us] 。"Silver Screem" リディムでの [Let It Go] と、大ヒット・リディム "Raging Bull" での [Looking Right] 等を発表。

    その後08年、09年には【No Doubt】レーベルより発表のヒット・ミディアム・リディム "Rub A Dub" でのヒット曲 [Same Old (Story)]。"Rock Steady" リディムでの [Save Dem] 等を発表する。

    また2010年には、【Don Corleon】レーベルより発表の "Pulse" リディムでの [Dem Bum Up]、[World On Fire] に加え、【VP Records】よりシングル [Some Day] とアルバム「I-Ternal Fire」を発表。さらに、【DJ Frass】レーベル音源の "Summer Rave" リディムでのダンス曲がヘヴィー・プレイされるなど注目を集める。

    Capletonも、Buju BantonやBeenie Man等と同様に、同性愛者を痛烈に批判することでも知られる。そして、「More Fire」や「Blazing Fire」といった表現においても様々な論議があるものの、Capleton自身は「炎」=「浄化」という表現であると主張する。

    関連リンク
    ■ROCKERS ISLAND:CAPLETON
  • CHARLY BLACK
    text:Rockers Island STAFF

    charley_black.jpg 本名:Desmond Mendez(デズモンド・メンデス)
    生年月日:1980年4月6日
    出身:Rio Bueno, Trelawny

    人気サウンドBass Odysseyの若手MC & Selectorであり、近年では [Rich This Year] が大ヒットしたことでも知られている、Charley Black。

    2007年の後半辺りから、ジャマイカの現場でPlayされだした、明るく軽快なイケイケ "Nuff Love" リディムでの [Buddy Buddy] や、同じくサウンドのMCでありながら、チューンをリリースしたCuttyの曲で有名な "Set Up" リディムでの [Backshot Time] などがダンスの現場でへヴィープレイされだし、一躍注目を浴びる。

    その後も順調にアーティスト活動を続けているCharley Blackは、アーティストとしての才能も開花させ、今のりに乗っている人物。

    Rio Bueno, Trelawnyの生まれで、Rio Bueno高校に通っていたそう。彼は幼い5歳の頃から歌を歌いだし、数々のコンテストで賞を受賞していた。

    そんな彼に2005年、転機が訪れる。Bass Odysseyへ加入し、ダンスホールのシーンへ足を踏み入れていったのだ。

    彼のファーストヒットである [Buddy Buddy] は、同じくBass OdysseyのMark Bartleyによって制作されたリディムで、それによってヴォイシングを経験した。

    2007年のStingや、Irie FMのDJ、GT Taylor主宰のクリスマス・エクストラバガンザでステージを披露。その後も、海外での営業などこなし、Mavado、Bounty Killer、Jr. Reid、Vybz Kartel、Tarrus Riley、Turbulence、MungaAssassin、Mikelousなどとステージを共有した。

    Charly Blackは今後、彼の声を通してジャマイカのレゲエを追求し、広めていく事を考えているそう。

    ▼Charly Blackの特徴▼
    彼の印象深い特徴ある歌声は、DJとしても迫力があり、伸びのある歌声は大ヒットシングル [Rich This Year] でも証明されている。セレクターとして現場での経験をもつ彼は、人が何を求めていてどういうところが好みなのかを掴むのに長けているようだ。
    関連リンク
    ■最初のレコーディングを経験した [Buddy Buddy]
    ■小島よしおのギャグを取り入れ一躍有名になった曲と同オケでの [Backshot Time]
    ■人気レーベルFresh Earからの軽快チューン [Bubble]
    ■世界的不況のなかだからこそ、注目曲 [Rich This Year]
    ■Charly Black作品一覧
  • CHINO
    text:Rockers Island STAFF

    chino.jpg 本名:Daniel McGregor(ダニエル・マクレガー)
    生年月日:1983年2月12日
    出身:Jamaica Kingston

    ジャマイカで国民的人気を得ている有名シンガーであるFreddie McGregorを父に持ち、同じくシンガーである姉のYeshemabeth(Shema)、それに現行のダンスホールシーンを牽引している天才プロデューサーである弟Stephen McGregorと共に、音楽一家として育つ。9歳の頃、音楽家になる夢を抱き、Vaz Preparatory学校の聖歌隊で歌い始める。12歳のときにP.J.Patterson大統領の前でパフォーマンスをした経験も。

    Big Shipのスタジオが併設されている実家で育ったChinoは、Marcia Griffithsや、Judy Mowatt、故Dennis Brownなど伝説のアーティストの仕事を見て、沢山のレコーディングテクニックやプロダクション運営などの知識を得る。高校生の時にはマルチな才能を発揮し、Omega Discoサウンドのセレクターとして経験を積む。

    ギターやドラム、ピアノにベースなどを演奏する彼は、自身の才能をカテゴライズせず、音楽アーティストであると考えている。その上、彼はラップやDee Jay、それに歌うことができるため、今までにDa'villeやT.O.K.、Wayne Marshall、Elephant Man、Kiprich、Delly Ranks、それに父であるFreddie McGregorの曲を書いたり、プロデュースもしている。

    ある時、Papa Sanの兄弟であるアーティスト仲間のBrianにラップの詩を提供することを頼まれ、彼のラッパーとしてのキャリアも始まった。彼のキャリアで初めて注目を集めた曲は、Kiprichとのコンビネーション曲 [Leggo Di Bwoy] と [Gimmi Di Gyal] 。この曲は局地的にPVがへヴィープレイされ、ラジオでもたくさんPlay、ジャマイカのチャートにランクインを果たした。

    高校卒業後は、アメリカのSlip N' Slide RecordsでアメリカのアーティストであるTrinaとTrick Daddyと共に仕事をする。

    その後、自身のルーツであるジャマイカに戻り、ニューヨークやマイアミ、ミシシッピー、ロンドン、アフリカ、日本などの大都市やバミューダ諸島、カリブ諸島などをパフォーマンスして回る。そうして、2006年に重厚なベースと激しいドラムラインで人気だった "Red Bull & Guinnes" リディムでの同タイトル名で、Delly Ranksとのコンビ曲がヒットし、一般にもその名を広めていく。

    2009年には、弟であるStephenのプロデュースによるシングル曲 [Ruff It Up]、[Call Mi Name]、[Wi Nu Like] や、弟Stephenもシンガーとして参加している [Protected]、昨今のダンスホールを代表するHip Hop調の、明るく洒落たトラでの [Never Change] が人気となり、シーンでも重要な存在になってきている。

    ▼Chinoの特徴▼
    人気のDemarcoと同様、マルチな才能を持つアーティストで、シンガー、Dee Jay、ラッパー、プロデューサーとしての面を存分に発揮しながらシーンを賑わせている。
    関連リンク
    ■Chinoの大ヒット曲 [Never Change (From Mawning)]
    ■Chinoリリース作品
  • COCOA TEA
    text:Takahashi Man(Rocker's Island)

    cocoa_tea.jpg 本名:Calvin Scott(カルヴァン・スコット)
    生年月日:1959年9月3日

    80年代半ばのダンスホール黄金時代にブレイクして以来、現在まで20年以上もシーンのトップに君臨し続けるラスタ・シンガー。甘い歌声と、聴く者を魅了するメロディーで歌い上げるラヴソングから、バビロンを切り裂く様なタフなメッセージ曲も魅力で、そのスタイルはまさに、ワン&オンリーのジャマイカを代表するトップ・ダンスホール・シンガー。

    70年代初期に、当時14歳という若さでデビューするも、ヒットに恵まれず、騎手、漁師となり生計を立てながら、音楽キャリアを構築。

    1984年より「Volcano」レーベル主宰の名プロデューサーHenry "Junjo" Lawesの下で、本格的な活動を開始する。

    1985年にVolcanoより発表されたデビュー・アルバムのタイトル曲 [Lost My Sonia] や [Rocking Dolly] の大ヒットで、トップ・アーティストの仲間入りを果すと、80年代後半には、当時Steelie & Clevieや、Bobby Digitalを擁しコンピューターライズドされたダンスホール・リディムで、まさに黄金時代を築いていた「King Jammy's」の下、[Come Again]、[Tune In] などが大ヒット。Gussie Clarkeの「Music Works」レーベルからはHome-T、Sahbba Ranksとのコンビネーション曲 [Pirates Anthem]、[Who She Love] などが大ヒットとなり、トップ・シンガーとしての現在の位置を決定づける。

    90年代に入ってからは、 天才エンジニアSteven Stanleyを擁するPhillip "Fatis" Burrellの「Xterminator」や「Digital-B」レーベルより、ラヴソングからコンシャスな歌物まで多数のヒット曲、人気曲をリリース。「Motown」より、メジャー作品のリリース経験もある。

    2004年には、自身が興したレーベル「Roaring Lion」よりリリースの "Gal Gone" リディムがヒット。自身のリリース曲 [Tek Whey Yu Gal] も大ヒットを記録する。

    2008年には、Barack Obama氏がアメリカ初の黒人大統領となる事を応援した楽曲 [Barack Obama] をリリースするなど、常にシーンを賑わす存在である。
    関連リンク
    ■初期のCococ Tea代表曲 [Come Again]
    ■今でもよく耳にする、80年代を代表する大ヒット曲 [Tune In]
    ■Home-T、Shabba Ranksとの、大ヒットコンビ曲 [Pirates Anthem]
    ■殺しの一曲 [We Do The Killing]
    ■お馴染み01年の大ヒット曲 [Sweet Life]
    ■04年、自身のレーベル「Roaring Lion」からリリースの大ヒットトラ、"Gal Gone" にのせたヒット曲 []
    ■2008年、アメリカ初の黒人大統領Barack Obamaを応援した曲 [Barack Obama]
    ■Cocoa Teaリリース作品一覧
  • CUTTY RANKS
    text:Shintaro(Rockers Island)

    cutty_ranks.jpg 本名:Philip Thomas(フィリップ・トーマス)
    生年月日:1965年

    1965年生まれのCutty RanksはJosey Walesの影響で、14歳のころからDJを目指し、GeminiやRebel Tone、Papa Rootsなどのサウンドシステムで歌い始め、80年代、Kilamanjaroのシステムに出入りしだし、そこでEarly BやSuper Cat、Little TwichなどのDJとリンクしていく。

    そうして色々な影響を受け、Winston RileyのTechniquesレーベルから初めてのシングル [Gunman Lyrics] をリリース。

    90年代に入ってDonovan GermainのPenthouseレーベルから、沢山の曲をリリースしていく。

    Cutty Ranksは少し甲高いが、野太いDJとしては魅力的な声を持ち、キャッチーなメロディーラインと、不良の心をぐっと掴むバッドなリリックスを武器に、ドンドンヒットを飛ばした。

    90年代中頃、人気絶頂を迎えたカッティーは世界へ向け作品を作り、アメリカデビューを果たすが、期が早かったのか、遅かったのか、世界進出は失敗に終わる。

    しかし、コツコツと活動を続け、7インチも年に数タイトルリリースしている。
    関連リンク
    ■Cutty Ranksのリリース作品
  • DA'VILLE
    text:Shintaro(Rockers Island)

    daville.jpg 本名:Orville Thomas
    生年月日:1978年1月24日
    出身:ジャマイカのキングストン

    アーティスト名であるDa'ville(ダヴィル)と言う名前は、本名であるOrville(オーヴィル)から「オー」を取って「ダ」をつけたもので、本人がつけた名前。

    最初は、「言い難い」や、「何でその名前?」といった意見を言う人もいたが、Da'villeがソロ活動を始めての最初のヒット曲 [All My Life](ベテラン女性シンガーMarcia Griffithsとのコンビネーション曲で、2000年のカバーヒット曲)がラジオなどで多くPLAYされる頃には、その名前も広く人々に認知されるようになった。

    Da'villeは、Midnight Rockレーベルを主宰するレゲエDJの父Jah Thomas(本名エンクルマ・トーマス)と、母クレオ・パトラ・ライトの最初の子供として生まれ、彼の祖母Feamaによって育てられた。

    DJである父の姿に影響を受け、物心付く前には音楽に目覚めはじめ、祖母の影響で、St.Peter Claver教会の聖歌隊で歌い始める。

    その後、Norman Manley Comprehensive高校を卒業し、工場やShop店員として働きだしたが、間もなく後のA.R.Pとなるコーラスグループに加入する。

    A.R.Pに加入し、本格的に音楽業界に足を踏み入れる。(A.R.PはシンガーとDJからなる4人組)

    A.R.Pとしての活動は97年ぐらいから、200年ぐらいまでの間で、その間に [Do You Wanna Ride] や、綺麗なラバーズ風なトラにコーラスワークがマッチした [All My Life]、それにイケイケトラ "Mad Rock" での [Tinted Car] などのヒットを飛ばす。

    中でも、90年代中頃のヒットカバー曲である [Lion Sleeps Tonight] は、Bass Odysseyをはじめ、多くのサウンドでダブとしてプレイされて人気であった。

    その後、A.R.Pの活動を経て、Donovan Germainが主宰するPenthouseレーベルとマネージメントの契約をし、ソロ活動を開始。

    ソロになってからの最初のヒットは、Marcia Griffithsとのコンビカバー曲 [All My Life] で、その後も、ジョグリンリディムなど色々なヴァージョンでリリースを続ける。

    そして、03年にNap Musicからリリースした、Bryan Adamsのカバー曲 [In Heaven] が、ジャマイカではスマッシュヒット、ここ日本では爆発的な大ヒットを記録し、世間の知るところになった。

    その後も、その甘く切ないかすれた歌声を武器に、Stephen McGregorの制作するリディムで、数々の人気曲を発表している。
    関連リンク
    ●A.R.P時代の人気曲
    ■[Do You Wanna Ride] /Star Trailからリリースのカルチャートラ
    ■[All My Life] コーラスワークが気持ちよいナイスラバーズ
    ■[Lion Sleeps Tonight] 超人気のカバー曲
    ●Da'villeのソロ活動後のヒット曲
    ■[All My Life] ベテランMARCIAとのナイスコンビ曲
    ■[Cruising] Penthouse時代のスマッシュヒット、こちらもカバー曲
    ■[In Heaven] 説明不要の人気曲
    ■[Can't Get Over You] Fashozyレーベルからの人気曲
    ■[Always On My Mind (Remix) ] ヒットチューンにSean Paulが絡むBig Tune
    ■Da'villeの全ての商品を見る
    ■ROCKERS channel
  • ETANA
    text:Shintaro(Rockers Island)

    etana.jpg 出身:ジャマイカのオーガスタタウン

    Sizzlaなどの出身地で有名なジャマイカ・オーガスタタウンの出身で、幼いころはそこで過ごすが、後にアメリカへ移住。

    そこでは、Lauryn HillやJill Scott、それにMarcia Griffithsなどのアーティストの影響を受けながら、自身の音楽センスを養っていく。そのアメリカでは「ギフト」という女性グループに参加していた。

    その後、ジャマイカへもどり、自分がしたい音楽活動へと進んでいき、2005年には当時5th Elementsに所属していたRichie Spiceのバックコーラスとして活動の幅を広げていく。

    その翌年、5th Elementsからシングルデビュー。その曲 [Wrong Address] は、アコースティックギターとビンギドラムでの構成で、優しく心地よいミディアム曲で、ジャマイカの人々の苦しみ、悲しみなどの辛い状況を歌い、ジャマイカチャートで1位を獲得し、一気にその名を轟かせる。

    そうして好調なまま、楽しげな雰囲気のメッセージ曲 [Roots] や、しっとりお洒落な雰囲気の [Warrior Love] などリリース。

    一人のシンガーとして1本立ちしたEtanaは、08年の春にフルアルバム「The Strong One」を発表。

    現在はアルバムセールスも好調なようで、女性の活躍が少ないレゲエ業界で、期待の女性シンガー。

    ▼ETANAの特徴▼
    いまやベテランの域に達した、Tanya Stephensのようなキャッチーなメロディーラインに、ジャマイカ人の心を掴むストレートな歌詞と、アメリカで吸収した幅の広い表現方法が魅力。
    関連リンク
    ■ETANAのリリース作品
    ■ROCKERS channel
  • GARNETT SILK
    text:Daisuke Onoda(Rockers Island)

    garnet_silk.jpg 本名:Garnett Damion Smith
    出身:ジャマイカ マンチェスター
    生年、没年月日:1966年4月2日〜1994年12月10日

    90年代のレゲエシーンを語る上で最も重要なシンガーであり、当時のレゲエシーンに大きな変換をもたらした。Bob Marleyの再来と言われた彼の功績は、死後10年以上経った現在でも語り継がれている。

    12歳の頃、Little Bimbo(リトル・ビムボ)という名でDeejayとしてキャリアをスタートさせる。名付け親はSteely Johnson。当時はDestiny Outernational、Pepper's Disco、Stereophonic、Soul Remembranceなどのサウンドシステムで修行し、初のレコーディングは1987年、[Problem Every Where]。

    その後キングストンに活動の場を移し、シンガーへと転向。晩年のKing Tubbys、Jammys、Penthouse、Steely & Cleevyで録音を繰り返した。

    再び故郷に戻ったSilkは、幼なじみのTony Rebelに紹介されたAnthony Rochesterと共に、[Roof International] を録音した後、Bobby DegitalのDigital Bから初アルバムにして代表作、「It's Growing」を発表。

    それからは [The Rod] 、[I Am Vex]、[Lion Heart]、[Seeing Zion]、[Lord Watch Over Our Shoulders]、[Hello Mama Africa] 等の大ヒット曲で、ジャマイカ中に旋風を巻き起こし、スラックネスや暴力をテーマとした、当時のダンスホール・レゲエ・シーンにラスタ回帰の流れを取り戻した。その後、多くのアーティストが影響を受け、ラスタ的な曲を書くようになった。人気アーティストTerry Linenのアーティスト名"Linen"は、Garnett Silkへの憧れから彼のSilk(=絹)になぞらえて付けられている。

    そして、アメリカのAtlanticレーベルとの契約話が持ち上がった矢先、オーチョリスの自宅で火事により、母親と共に不慮の死を遂げている。彼の死については、不慮のガス爆発説や、麻薬取引に関わったための報復説、暗殺説などの様々な噂があるが、真相は分かっていない。

    没後、ベスト盤等が多数リリースされているが、彼が生前に発表したアルバムは、1992年の「It' Growing」のみである。

    ▼Garnett Silkの特徴▼
    何といっても名前の通り透き通った絹のような美しい歌声に、そこから発せられる「愛」や「カルチャー」について説いた素晴らしいリリック。ソングライターとしても超一流であった。
    関連リンク
    ■92年大ヒット、黒人のアフリカ回帰を歌う大人気曲 [Hello Mama Africa]
    ■92年ヒット、軽快 "General" トラ。彼がPenthouseに残した名曲 [Lion Heart]
    ■91年、ゆったり名トラ "Moving Away" リメイクのビッグ・ラブソング [It's Growing]
    ■94年、太いベースに彼の歌声がマッチ [Sprashing & Dashing]
    ■90年代初期ヒット、Tony Rebelとのビッグ・コンビネーション [Christian Soldier]
    ■95年ヒット、暗めでヘビーな "Tempo" トラで愛を歌うBigチューン [Complaint]
    ■94年ヒット、Richie StephensとのBigコンビ、ポジティブチューン [Fight Back]
    ■95年ヒット、ほのぼの優しい "First Cut" トラでのBigチューン [Oh Me Oh My]
    ■92年ヒット、ブレイクのきっかけとなったラブソング [Place In Your Heart]
    ■90年代初期ヒット、Mamaチューンの代名詞 [Mama]
    ■93年ヒット、ゆったりトラに彼の歌声が冴え渡る超ビッグチューン [Lord Watch Over Our Shoulder]
    ■93年ヒット、マイナー調 "Mr. Bassie" トラリメイクの名曲 [The Rod]
    ■90年代中期ヒット、彼の全盛期有名曲 [Kingly Character]
  • GENERAL TREES
    text:Takahashi Man (Rockers Island)

    general-trees.jpg 本名:Anthony Amos Edwards(アンソニー・アモス・エドワーズ)
    生年月日:1955年12月13日

    [Mini Bus] や [Gone A Negril] といったヒット曲でも知られる、80年代のダンスホール・シーンを代表するDJ。80年代後半のジャマイカで最も人気があった早口のDJとしても広く知られ、様々なネタを面白おかしくDJする話芸と、ステージでのエネルギッシュなパフォーマンスでも高い人気を持つベテラン。

    1955年12月、ジャマイカはキングストンに生まれる。

    70年代後半、様々なサウンド・システムでの活動を経て『Jack Scorpio』の愛称でも知られるMaurice Johnson(モーリス・ジョンソン)率いるサウンド・システム、《Black Scorpio》へと活動の場を移し、既に看板DJとして活躍していたSassa Frass(ササ・フラス)と共に活躍する。

    80年代中頃、サウンド・システム主宰Maurice Johnsonがレーベル<Black Scorpio>を立ち上げると共に、楽曲の録音を開始。

    デビュー・シングル [Mi God Mi King] でジャマイカのシングル・チャート1位を獲得して以降、[Heel And Toe] をはじめ [Monkey & Ape]、[Ghost Rider]、[Crucifixion] といったヒット曲を発表。86年には代表曲となった [Mini Bus] の大ヒット等で、Jamaica Broadcasting Corporationより『Songs Of The Year』を授与される。この一連の活躍を期に様々なプロデューサーと楽曲の制作をするようになって以降も、[Gone A Negril] や [Calling All Higgers]、[Lambada]、[Think Twice] といったヒット曲が更に続いた。

    80年代後半ではFrancy Black(フランシー・ブラック)との [Coke Pine] や、Little John(リトル・ジョン)との [Nightmare] といったコンビネーションでの楽曲もヒットさせる。

    90年代に入り、<Black Scorpio>レーベルに拠点を戻し、[Tarzan]、[Peanut Man]、[Eye Nah See]、[Great Jamaican Jockey]、[Goodie Goodie] といった楽曲がヒット曲となるが、かつての様な人気を獲得する事は無く、活動も活発なものでは無くなる。しかし、90年代後半には、プロデューサーLinval Edwardsの下よりリリースした [Lik Him But Nuh Kill Him] がヒットとなる。

    2005年、再び<Black Scorpio>で [Run Di Place Again]、 [Mother Of The Land] を発表。さらに同年12月には《Black Scorpio》サウンドと共にヨーロッパ・ツアーを行なう。

    その後、U Roy(ユー・ロイ)をはじめとする多数のアーティストが参加する、ラバダブ主体のサウンド《Star-Gav Sound System》にも参加するなど精力的に活動を続け、大小様々なショウに出演している。

    関連リンク
    ■GENERAL TREESのリリース作品一覧
    ■代表曲でもある大ヒット曲 [Mini Bus]
    ■代表曲でもある大ヒット曲 [Gone A Negril]
    ■80年代後半リリースのヒット曲 [Ghost Rider]
    ■80年代後半リリースのヒット曲 [Monkey & Ape]
    ■90年代初期リリースのヒット曲 [Tarzan]
  • GREGORY ISAACS
    text:Takahashi Man (Rockers Island)

    gregory_isaacs.jpg 本名:Gregory Anthony Isaacs
      (グレゴリー・アンソニー・アイザックス)
    生年月日:1951年7月15日

    70年代初期より活躍する『Mr Cool Ruler』の愛称でも親しまれる大御所シンガー。独特な歌声で聴かせるラヴ・ソングから、クールでルーディーなスタイルまで歌いこなすBob Marley(ボブ・マーレー)やDennis Brown(デニス・ブラウン)に次いで、世界的に広く知られるレゲエ・アーティスト。

    1951年7月、キングストンのフレッチャーズ・ランドに生まれる。

    様々なタレント・コンテストに参加していた彼は、10代にして既にコンテストの常連となり、17歳でプロデューサーByron Lee(バイロン・リー)の下でWinston Siinclair(ウィンストン・シンクレアー)とのデュエット曲 [Another Heartache] でレコーディング・デビューする。その後、コーラス・トリオ《Concords》としての活動を経て、1970年よりソロとしての活動を本格化する。

    73年、シンガーのErrol Dunkley(エロール・ダンクリー)と共にレーベル<African Museum>を設立して間もなく、自身初のラヴァーズ・ロックのヒット曲となった [My Only Lover] を発表する。その後も、様々なプロデューサーの協力のもとDobby Dobson(ドビー・ドブソン)の [Loving Pauper] のカヴァー等、バラードからルーツ・レゲエのヒット曲を多数発表する。

    74年には自身初のジャマイカNo.1ヒット曲となった [Love Is Overdue] を発表する。

    70年代ではGussie Clarke(ガッシー・クラーク)の下で [My Time]。Lloyd Campbell(ロイド・キャンベル)の下では映画『Rockers』でも演じた [Slavemaster]。Lee Perry(リー・ペリー)の下では [Mr Cop] の他、Winston "Niney" Holness(ウィンストン"ナイニー"ホルネス)やGlen Brown(グレン・ブラウン)といったジャマイカのトップ・プロデューサーの下で活躍。さらに、70年代後半までにはBob Marley、Dennis Brownに続きアメリカとイギリスで定期的にツアーを行い、レゲエ・アーティストとして世界でも活躍する。

    77年、プロデューサーAlvin Ranglin(アルビン・ラングリン)のレーベル<GG's >より名曲 [My Number One]、[Border] を発表する。

    78年、<Virgin Records>傘下のレーベル<Front Line Records>と契約し、名作アルバム「Cool ruler」と「Soon Forward」(79年)を発表する。

    81年、<Charisma Records>傘下のレーベル<Pre>への移籍を経て<Island Records>と契約し、82年に代表作 [Night Nurse] を発表する。同年、麻薬取引に関与した拳銃の不法所持でキングストンにて禁固6ヶ月の刑に服した後、83年には<Island Records>からのセカンド・アルバム「Out Deh」を発表する。

    84年、<Island Records>との契約が終了するとシングル [Kool Ruler Come Again] の発表を皮切りに、Prince Jammy(プリンス・ジャミー)、Red Man(レッド・マン)、Bobby Digital(ボビー・デジタル)、Tad Dawkins(タッズ・ダウキンズ)、Steely & Clevie(スティーリー・アンド・クリービィ)等の様々なプロデューサーと共に意欲的に制作、発表を行なう。その後、<Music works>レーベルの主宰兼プロデューサーGussie Clarkeと強い関係を築き、85年にはタイトル曲もヒット曲となったアルバム「Private Beach Party」を発表。

    88年にはシングル [Rumours] を大ヒットさせる。さらに90年代前半までには、Dennis Brown、Freddie McGregor(フレディ・マクレガー)、Ninja Man(ニンジャ・マン)、JC Lodge(ジェイシー・ロッジ)等と制作を共にする。

    93年には、<Xterminator>レーベルよりBeres Hammondとのシングル [One Good Turn]。94年には、アルバム「Midnight Confidential」を発表する。

    90年代半ば以降も様々なレーベルより数多くのシングルをリリース。アルバムでも2008年には「Brand New Me」がリリースされる等、ラヴァーズ、ルーツ・レゲエのアーティストとして活躍する。

    関連リンク
    ■Gregory Isaacsのリリース作品
    ■初のジャマイカNO 1ヒット曲 [Love Is Overdue]
    ■代表曲でもあるヒット曲 [My Number One]
    ■Sly&Robbieプロデュースの名曲 [Soon Forward]
    ■代表曲でもあるファンデーション定番曲 [Night Nurse]
    ■80'sの大ヒット曲 [Rumours]
  • GYPTIAN
    text:Shintaro(Rockers Island)

    gyptian.jpg 本名:Windel Beneto Edwards
    生年月日:10月25日

    クリスチャンの母とラスタファリアンである父の間に生まれ、7歳の時に教会で歌いだす。その才能を感じた両親は、ポートモアのセントキャサリンに住むプロデューサーの、Mr.WongのところへGyptianを連れて行く。

    まだ子供だったGyptianはそれを理解できず、よくそこから逃げ出したりしていたようだが、ある日両親はGyptianをそのプロデューサーの所に置き去りにする。そこで覚悟決めたGyptianは、Mr.Wong、それに有名なギターリストであるEarl Chinna Smithの下、彼はそのユニークな才能を伸ばしていく。

    2004年にポートモアのKens Wild Flower Loungeで行なわれたスター発掘のコンペティションで優勝し、年末のジャマイカNo.1野外コンサートであるStingに出場する機会を得る。

    05年辺りのカルチャーブームのムーブメントと共に、ファーストシングル曲である、ビンギリディムのメッセージ曲 [Serious Time] で、彗星の如くシーンに現れ一気に注目を集めた。その独特な優しい歌声と、ファルセットの効いた歌唱法で人々を魅了し、人気を博していく。

    その後も、母へ送ったメッセージ曲 [Mama Don't Cry] や [Beautiful Lady] などの楽曲を発表し、2006年、国際レゲエミュージックのべスト新人アーティスト賞にノミネートされる。

    そうして、順調にシングル曲を発表し、今年2008年に最新アルバム「I Can Feel Your Pain」をリリース。

    ▼GYPTIANの特徴▼
    一度聴いたら耳に残る、印象的な歌声と美しいメロディー、それに人々の心に訴える力強く優しい、コンシャスなメッセージが特徴。Gyptianという名前は、彼が頭の周りをシャツで巻いていた姿がエジプトの王ファラオに似ていたため、それが変化して付いたそう。
    関連リンク
    ■デビューシングル [Serious Time]
    ■流れるようなメロディーが心地よい [Beautiful Lady]
    ■人気Foundationリディムでの神様賛歌 [My Fadda Say]
    ■Gyptianの人気を決定付けた好曲「Mama Don't Cry]
    ■Gyptianその他の作品
    ■ROKERS channel
  • JAH CURE
    text:Takahashi Man(Rockers Island)

    jah_cure.jpg 本名:Siccature Alcock
    生年月日:1978年10月11日

    デビューして間もなく「暴行容疑」で逮捕され、8年間もの間堀の中から楽曲をリリースし続けた、悲劇のシンガー。慈愛に満ちたメッセージと、哀愁漂う独特の泣かせるメロディーで聴く者を魅了する、あのBeres Hammondも一目置く歌声を持つシンガー。

    1978年、JamaicaはHanoverに生まれ、Kingstonで育つ。Kingstonでは、Capleton率いるDavid Houseと親交が深く、<Jah Cure>の名はCapletonが命名した。

    1997年3月、Harmony HouseレーベルよりSizzlaとのデュエット曲 [King In This Jungle] でレコード・デビューする。その後、安定したリリースで人気を得るも、1998年11月にMontego Bayの街中で「暴行容疑」で逮捕される。"無実"を強く訴えるも、禁錮15年の刑に服すことになる。しかし、"堀の中"でもレコーディングが出来た彼は、"堀の中"からジャマイカはじめ、世界のレゲエ・チャートを賑わせた。

    1998年にHenfieldレーベルよりリリースした [Jah Bless Me] がロングランヒットとなる中、2000年にファースト・アルバム「Free Jah's Cure」を発表。以降2003年、2005年とアルバムを発表する間も、絶えず"堀の中"から放たれ続けた彼の歌声は、彼のイメージを特別なものとした。2004年に [Longing For]、2005年には [Love Is] をリリースし、彼の人気は爆発した。

    逮捕から8年後の2007年7月28日、VP Recordsからは釈放を記念したアルバム「True Reflections」が発表。ジャマイカでは数箇所で釈放を祝う野外フェスが開催されるという歓迎ムードの中、釈放された。

    そして2009年春にリリースされたアルバム「The Universal Cure」の収録曲 [Call On Me] をはじめ、[Never Find] がチャートの上位にランクインされる等、亡きGarnett Silkの様なカリスマ性も秘めたラスタ・シンガーとして、今後の活躍も期待、注目されている。

    関連リンク
    ■Jah Cureのリリース作品
    ■1997年リリースのレコード・デビュー曲 [King In This Jungle]
    ■1998年リリースのロングラン・ヒット曲 [Jah Bless Me]
    ■1999年リリースのビック・チューン [Love's The Solution]
    ■2004年リリースの "Drop Leaf" リディムでの大ヒット曲 [Longing For]
    ■2005年リリースの "Seasons" リディムでの大ヒット曲 [Love Is]
    ■2007年に釈放を記念してリリースされたアルバム「True Reflections」
    ■2009年リリースの "Changes" リディムでの大ヒット曲 [Never Find]
    ■2009年リリースのアルバム「The Universal Cure」
    ■2009年リリースし大ヒット [Call On Me]
  • LADEN
    text:Shintaro(Rockers Island)

    laden.jpg 本名:Okeese Aarons
    生年月日:1985年6月22日
    出身:セントリジベル

    2009年現在の、ジャマイカダンスホール界をリードしているトレンドセッターの、Stephen McGregorが一押しする、お抱えアーティストとして、08年からBig Shipレーベルのリリース作品の、Bサイドに収録され徐々に注目を浴びてきている。

    レコードやCDでのリリースは無いが、ジャマイカのダンスではそこそこ耳にした、しっとりとしたピアノのイントロで始まるR&Bテイストの [I'm Sorry] や、[Time To Shine] が話題となっている。

    "Genius"ことStephen McGregorも期待しているアーティストのため、今後要注目である。

    ▼LADENの特徴▼
    最近のアーティストスタイルとしては多い、メロディーラインを大切にしたサビを用いる、シングジェイよりのDJスタイルで、同じくシングジェイスタイルのWayne Marshallに良く似たテイストを持っている。今流行のオートチューンを使った "Day Break" リディムの [Gyal Coward] などは、Vybz Kartelにも似ている。
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